唐突に済みません。一応「社長」なのでエンジニアリング以外の事も書いてみようかと。

我々日本人は本当に「農業」が得意なのでしょうか。
戦後になって米国にゼロから農業を教わっただけでは無いのでしょうか。
(高度成長期に起きた農業従事者の「工業への転換」「商業への転換」「都市への移住」を考慮すると現在の農村は「集団的」と言うより「家庭内小規模農業」である様にも思いますが)

少なくとも戦前までに起きた飢饉の回数を考えた時、果たして日本人は農業が得意だと言えるのでしょうか。当時の気候の問題であるなら現在、環境問題は「昔より良くなっている」と言えてしまいますよね。

ダストボウル時代を経験している米国の方が農業が得意であるとは言えないでしょうか。
外国から教わったノウハウを自分たちの伝統と思い込んでしまっては居ないでしょうか。

戦前のダメな農業のやり方を、今の「工業従事者」「商業従事者」「都市労働者」は引き継いでは居ませんか?
克服できていますか?

どうして第二次大戦に負けたのか?戦う前に負けては居ませんでしたか?工業力で。農業力で。
負け戦を忘れては居ませんか?敗因分析は充分ですか?

現在の農業従事者は「戦前は指揮を担当していた」と仮定すると後に農村を追われる我々の先祖は戦前までは何を担当して居たのでしょうか。
現代日本の抱えている問題はそこにあるとは考えられないでしょうか。

農業の機械化により過剰となった生産人口が都市に流れ込んだ。
我々の出発点はそこにあるのでは無いでしょうか。

そう言えばロックバンドって良いですよね。
リードギター、リズムギター、ベースギター、キーボード、ドラム。そしてヴォーカル。
全員違う事をやっています。

フォード式の工場で覚えた生産方式、否生活様式を更新する時期はとっくに過ぎては居ないでしょうか。
フォード式の生産方式が我々の伝統とたまたま合致しているのでしょうか。(農業の集団化は明治時代以降に始まった様でもあります)

そう言えば「日本の伝統的な工芸品の出来の良さ」を誇る人が居ますが、士農工商の内「工」の人口の割合ってどれくらいでしたっけ???何故ごく一部の人間の職能(がもたらす印象)が全日本人にも当てはまると考えるのか。。。

「SESだから仕方ない」かも知れませんが単純労働しか経験して居ない人を管理職にしてしまってはいませんか?
どうしてIT系の技術者は興味の幅が極端に狭い人が多いのか。。。元来技術者ってそう言う人種でしたっけ?
政府が創出した雇用にぶら下がるだけの人を技術者と呼称して良いのでしょうか?

戦前の日本が正しかったとは思いません。(いきなりですがここからは妄想の世界に入ります)
しかしながら物事の善悪を裁けるのは神様だけです。(現人神と言う意味では無く)遠い未来に全ての死者が甦った後で行われるらしい裁きの事です。

515と226は日本におけるフランス革命、市民革命だったのでは無いでしょうか。
ナポレオンに率られ、近所の国々に攻め入った事は責められず、東條英機に率られ同様の事をした事は責められる。

今の我々に求められる行動は何か。
私は「国民の、国民のための、国民によるセルフニューディール政策」だと思っています。

自分でも何を言ってるのか良く分かりませんが旅は続きます。
ひとまずエジプトを出ましょう!
私は預言者では無いのでここでもまた

セルフ出エジプト期

って感じです。
※セルフでxxx良い感じ、ってギャグを自分で説明させられる屈辱、、、湘爆的な。。

※日本の農業に対する肯定的な仮説を考えたので追記します。
水稲栽培がダストボウルの発生を防いでいると仮定した場合、急峻な日本の地形で人工的に水を堰き止めて利用している事との関連を考えると、「東洋は自然が豊かなので人工的に自然を改造する技術が発達して居ない」とする通説(行基が居るのに。。)を疑う必要が出て来るのかも知れません。

半導体と言う、「産業の石油」を何故か勝手に「産業の米」と呼んでしまって居る事に何らかの正当性を与えるとしたら面白いです。

「米は米でも米相場の米だろ」と思って居た私の考えを改め、

半導体の製造プロセスを水稲栽培的に捉えてみると
半導体投資で儲かる可能性も???